SPECIAL

特別寄稿
「瀬戸口廉也を語る」

瀬戸口廉也が手掛けた作品に
影響を受けた方々からの寄稿企画

column 02
作家・シナリオディレクター
星野彼方

 瀬戸口廉也氏のテキストは、ひたすらに「重い」。

 

 いきなり、『ヒラヒラヒヒル』の「ヒラヒラ」という語感からは真逆のイメージを述べてしまったが、本当なのだ。それは、ズシリと響く質量を伴って読む者に迫ってくる。

 まずは文体の話をしよう。

 瀬戸口氏の文章は、ゲーム媒体として読みやすくするための最適化より、言葉が人に与える影響力というものを信頼し、全面に出している。大量に文字が並んでいる様さえ一種のアートであるかのような凄まじい物量で、読み心地は文学作品に近い。

 さらに、一般的な会話主体のノベルゲームと比べて、台詞と地の文との境界は、かなり曖昧だ。一人称で語られるモノローグ混じりの地の文には、視点キャラクターの哲学が滲み出す。ある意味それは自分自身との対話であって、すべての文章が台詞であると言ってもいい。

 台詞自体に関しても、似たことが言える。日常シーンから対決シーンに至るまで、全編に渡って長台詞が展開されていくのは、瀬戸口氏のスタイルの大きな特徴の一つである。とうとうと、まるで地の文のようであり、しかしながら生き生きとした、台詞の数々。意識の流れをそのまま口にしているかのようなそれらの台詞は、説明的どころか、むしろ話者の人間性に満ち満ちている。だからこそ文章を読み進めるうち、人物の苦楽がダイレクトに精神へと食い込んでくる。それが、とにかく心にズッシリくるのだ。

 

 次に、シナリオや作風について。

 今回『ヒラヒラヒヒル』の体験版をプレイしてみて、瀬戸口氏が過去にシナリオを手掛けたノベルゲームの中で、特に近しいと感じた作品が二つある。『ヒラヒラヒヒル』同様、瀬戸口氏が企画も手掛けている、『SWAN SONG』と『Black Sheep Town』だ。

 

 共通点としては、特殊な環境下(作中の人物にとっては日常の延長である場合も多々あるが)に置かれた登場人物たちによる群像劇であることが、第一に挙げられる。 『SWAN SONG』の舞台は、不可思議な災害によって外界から隔絶され荒廃した、教会や学校。『Black Sheep Town』では、ギャングやミュータントが抗争を繰り広げる街。そして『ヒラヒラヒヒル』では、死んだ人間が蘇る病を医療の対象とし始めた大正時代。

 だが瀬戸口氏の描くストーリーでは、世界の謎そのものの解明や事態の解決よりも、その中で生きる「人間」に焦点が当てられる。用意された舞台装置に、様々な思想や立場の人物たちが配置され、互いの「世界観」が交錯していく。世界観とはつまり、世界や人生に対する、その人の考え方である。

 ゲームを開始すると、非常に解像度の高い過酷な世界がプレイヤーを迎え入れるが、視点キャラクターが変わるたび、取り巻く事象に対して受ける印象は大きく移り変わっていく。プレイヤーは、各人物の思考フィルター(要するに世界観)を通して、世界を目撃していくことになるからだ。
「こういう世界観を持っている人間」がこのような状況に陥ると、どう考え行動するのか、その世界観は変化するのか。「こういう世界観の人間」と「こういう世界観の人間」がこのタイミングで出逢うと、どういった議論になるのか、そもそも議論が成立するのか、受容するのか対立するのか。

 人物それぞれの思惟過程や行動原理、そこから生じる人間模様はリアリズムに溢れ、とかく自問や会話を重ねていく構造は、ほとんど思考実験の様相を呈している。

 

 三作の共通点は、まだある。いずれもUIデザイン担当の長岡建蔵氏と組んでおり、画面作りが特徴的なことだ。ウィンドウ全体に文章が表示される「サウンドノベル」と、文章は下部に収めて残りの大部分で立ち絵などを活用した演出表現を行う「ビジュアルノベル」との、良いところ取りをしている。

 詳しく説明すると、セリフや地の文が、画面下のいわゆる「テキストボックス」という枠内に表示されるのではなく、場面ごとの画面構成、その時々のスチルCGやカットインに合わせて配置されるのだ。都度、文章の固まりは変形し、表示される横幅の文字数やら縦の行数やらが変ずるという、かなりアグレッシブかつダイナミックな手法が取られている。

 それでいて、特徴的な文体によって綴られる場面描写は、人物のアクション自体よりも心理面を活写する、抑揚としては淡々とした仕上がり。起きた事象は起きた事象として、「事実」を語っている。BGMも控えめ(にして効果的)だ。

 臨場感あるカメラワークの如く画面に変化を加える演出と、抑えた語り口との絶妙なコントラストによって、まるでドキュメンタリーを目にしているような生々しさを孕んでいる。こういった作品全体の作風が、先に挙げた思考実験的なシナリオと重なり合い、ファンタジーな物語背景の中で暮らす人々のノンフィクション(な個性や生き様)を精緻に描き切っているのだ。そこには善悪を超越した、只それぞれの人生がある。

 瀬戸口氏の物語はダークなトーンで「鬱ゲー」と呼称されることも多いが、決して人間そのものを否定しておらず、根底にあるのは眩しいほどの人生賛歌。それは特に、『SWAN SONG』ノーマルエンドや、『キラ☆キラ』の椎野きらりノーマルエンドにて、絶望の中を這い進み、藻掻き続けた先で、実に烈しく鮮烈に胸に迫ってくる。

 

 他者や命や世界との共生は、全く楽な道ではなく、決断の一つ一つに大変な「重さ」が纏わりつく。『Black Sheep Town』では介入できる一切の選択肢が存在しないことで、作中人物たちの信念や価値観から成る行動の重みが増し、積み重なった歴史や意思の果てで必然として起こった事実をプレイヤーが受け入れ、思いを馳せる仕組みとなっていた。

 しかし『ヒラヒラヒヒル』では、体験版の時点で二度、非常に重たい選択肢を迫る場面が登場する。そこに至る過程が緻密な筆致で紡がれているからこその、重さ。これら決断の積み重ねが果たして、視点キャラクターたちの思考に、ひいてはプレイヤーの心に、いかなる生き様をもたらすのだろうか。その「重み」は、人生のひとしずくとして忘れられない体験になるやもしれない。

星野彼方

作家・シナリオディレクター

第2回ノベルジャパン大賞特別賞を受賞したライトノベル『クロス・リンク~残響少女』にて、小説家デビュー。以後、漫画原作やゲームシナリオ等々を手掛ける。またVTuber業界において、動画やボイスなどの脚本を担当する他、専門情報誌のメインライターを務めている。

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