SPECIAL

特別寄稿
「瀬戸口廉也を語る」

瀬戸口廉也が手掛けた作品に
影響を受けた方々からの寄稿企画

column 04
詩人
岩倉文也

裏道の人間讃歌

 

 ぼくが本格的にノベルゲームに手を出しはじめた2010年代後半、すでに瀬戸口廉也の名前は伝説だった。氏は『CARNIVAL』、『SWAN SONG』、『キラ☆キラ』という、質量ともに高水準な傑作3本だけを残し、10余年前、業界を去ってしまっていたからだ。

 思えば、ノベルゲームの業界には伝説があふれている。数多くの優れたシナリオライターが名作を生みだし、そして歴史となっていった。しかし、全ては過去の話だった。

 ノベルゲームに真剣になればなるほど、分かったのは、この業界の黄金時代は遥か昔にあり、ぼくはその現場に居合わせることができなかった、という遣る瀬無い事実だった。名作を残したシナリオライターの多くは、10年代後半には業界を離れ、活動の場を別に移していた。ノベルゲームとはぼくにとって、決して「同時代」のものではなかったのだ。それは過去の栄光であり、滅び去った国のおとぎ話に似ていた。ぼくはそれでもノベルゲームが好きだったし、たとえ新作に触れる機会が乏しくとも、構わないと思っていた。名作は何年経っても名作なのだと、嘯きながら古めかしいパッケージを開封していった。

 だから2019年、瀬戸口廉也名義の新作、『MUSICUS!』が12年ぶりに発売された時には、胸が躍った。発売日当日、かぶりつくようにプレイした。さらに3年後、『Black Sheep Town』が発売された。相次いで、という訳ではなかったが、12年の沈黙を考えれば、3年なんてほとんど一瞬みたいなものだった。そしてその直後、新作『ヒラヒラヒヒル』の制作が発表されるに及んで、ぼくはようやく、自分が瀬戸口廉也と同時代にいるのだと、心から実感できたのだった。ノベルゲームは確かに生きていた!

 さて、ここで一つ考えてみたい。瀬戸口廉也作品を一貫して貫く魅力とは、一体なんなのだろう。長い休筆期間を置いてさえ変わることのない、瀬戸口廉也「らしさ」の核心。

 ぼくは5、6年振りに、『SWAN SONG』を再プレイしてみた。というのも、本作がぼくのはじめて触れた瀬戸口廉也作品だったからだ。初プレイからだいぶ時が経っている。その間にぼくは氏の作品をやり尽くし、また他のノベルゲームも相当数クリアしてきた。そうした現在の視点から眺めてみても、やはりというか、本作の読み味には特異なものがあった。瀬戸口廉也作品は、他の何物とも似ていない

 一番に感じたのは、予めプレイヤーが想定しているジャンルの表現と、実際のプレイ体験が微妙に異なる点だ。本作で言えば、これはパニック物である。パニック物とは、大規模な災害などに見舞われた人々が、いかに葛藤し行動するかが描かれたジャンルである、と取りあえずは言える。

 大地震、避難所での生活、外部から孤立した街、食料を巡る争い――。本作で描かれるどの要素を取ってみても、想定されるジャンルからの逸脱はない。しかし、である。本作をプレイした者が感じるのは、ある違和感ではないだろうか。何か、違う。本来ならこのジャンルが描かれるに当たって零れ落ちてしまうはずのものが、ここでは問題にされている、と。

 例えば本作では、物語を進めていくと、ヒロインの一人である佐々木柚香という女性の、空虚で無感動な内面が描かれる個所がある。そしてそれは、パニック物を描く上での単なる味付け、などと言って済ませられる軽いものではなく、むしろ彼女の内面が物語の進行を突き破って、じかにプレイヤーに迫ってくるほどの魅力を持っているのである。

 本作に限らず、サイコサスペンスの『CARNIVAL』、バンド物の『キラ☆キラ』『MUSICUS!』、ギャングの抗争を描いた『Black Sheep Town』。それぞれの作品において、ジャンルという枠組みなど気にせずに、登場人物はその声を高らかに響かせている。時に快く、時に耳に痛く、時にぞっとするような生身の声を。しかしそうした「声」の積み重ねこそが、瀬戸口廉也作品の独自なプレイ体験を形作っているのである。

 瀬戸口廉也の作品は「鬱ゲー」と評されることも多いが、そんなのとんでもないとぼくは思う。ここまで人間の内面を、その正と負をあわせて凝視し、表現してきた作家が、「鬱ゲー」など作るわけないではないか、とぼくは言いたい。凝視とはそれ自体が愛であり、たとえ醜さであったにせよ、それを表現することは讃美することと同じなのである。作家だけがその裏道を通じて、人を愛することを知っているのだ。

 今にして考えると、氏が得意とする群像劇の手法も、人間を描くことへの情熱から来ているのかもしれない。一人一人の内面を描くこと。その断絶、崇高なすれ違いを倦まず追跡しつづけること――。

 それにしても気になる。『ヒラヒラヒヒル』では一体、どんな人間が描かれるのだろう。

 ぼくは瀬戸口廉也の暗い情熱の行方を、これからも見届けていきたい。

岩倉文也

詩人

1998年、福島市生まれ。主な著書に『傾いた夜空の下で』(青土社)、『あの夏ぼくは天使を見た』(KADOKAWA・焦茶との共著)、『透明だった最後の日々へ』(星海社FICTIONS)などがある。

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