「瀬戸口廉也を語る」
瀬戸口廉也が手掛けた作品に
影響を受けた方々からの寄稿企画
名乗るほどの者ではございません。いえ、そんなことが許されるかはわかりませんが、できることなら瀬戸口先生には僕の汚名に塗れたペンネームなぞ伏せたままで、サイトでのみプロフィールを載せる形にしておいて欲しいのです。自分のような嫌われ者の作家崩れの名前を認識してしまうことで、先生のお目汚しとなることが酷く怖いのです。
それでも、こうして「瀬戸口廉也を語る」という企画に寄稿させて頂いたのは、自身の禊や懺悔のような、非常に身勝手なこちらの都合に過ぎません。それくらい瀬戸口廉也への想いは大きく、複雑で、奇怪で、言語化することすらできない。ファンの皆様へも不快な文章を読ませてしまう結果となることをお許しください。
毎日、日記を書いています。真っ暗な背景に白い字を書き連ね、その日の感情をそのまま綴っています。すべて、先生の影響です。「自分語り」なんて自らインターネット上の出る杭となるナルシスト地味た行為が切り拓かれたのは、間違いなく先生の純粋さと文章力があってこそです。先生がドロドロの自意識も過去も赤裸々な生活も人間関係も、ありのままを飾り付けずに、時には過剰に包装することで滑稽に、それを美意識として、エッセイのような、小説のような、はたまた夢の話のように書いてきたからこそ。
先生は自身を卑屈な日陰者のように描写しますが、自分程度の鬱屈したフリをした偽物のゴミからすれば、先生の持つメランコリーもナイーブさも、そのすべてが眩しく、燦々と輝く太陽に見えてしまう。先生の輝きが眩しすぎて、直視ができません。恥ずかしながら、自身がクリエイターの真似事をしてゲームのシナリオを執筆して以来、先生の最新作には触れていません。ここにきて瀬戸口廉也に影響されてしまったら、自分の創作がどう崩れてしまうのかが恐ろしく、指が震えてしまいます。いかに自身が紛い物であるか、瀬戸口廉也の文章によって白日の下に晒されることが恐怖で仕方ありません。こうして関わった以上、今作をありがたくプレイさせてもらうつもりですが、すでに戦々恐々。またしても瀬戸口廉也の強烈な文章が頭に反芻し続け、僕のちっぽけな自我なんて塗りつぶす未来に怯えている。。
ドストエフスキーを読みました。ボードレールも読みました。シェアハウスへ住みました。モルフォ蝶の標本を集めました。幻の世界へ憧れました。キリスト教のミサに出席したこともあります。こうして剥き出しの自我を曝け出した文章を書いてお金をもらっています。美少女ゲームを企画してシナリオを執筆しました。いまは宗教を通して人間の善性について最も興味があります。どれも先生からの影響が根底にあるでしょう。こんな人間、先生からすれば不快でたまらないはずです。誠に申し訳ございません。死んでお詫びをしたいくらいですが、本当は死ぬ勇気なんてありません。
数年前、仕事で関わったキルタイムコミュニケーションのご厚意で、倉庫にあったノベライズ版の『CARNIVAL』の新品を頂きました。先生のファンが喉から手が出るほどに欲しがるであろう、貴重な一冊です。丁寧にブックカバーで保護した上で、何度も何度も拝読いたしました。申し遅れましたが、先生の作品では『CARNIVAL』が最も好きで、その先の物語を読むことを許された巡り合わせに、これまた非常に傲慢ながら運命を感じずにはおりませんでした。今でもショーケースの中へ保管し、大切にしまっています。美少女ゲームのノベライズにおいて、あのような形で新作を書き下ろす挑戦心も、作品への愛情も、拘りも、なにもかもが愛おしく、尊敬に堪えません。
私事で恐縮ですが、偶然にも僕も自身が手掛けた美少女ゲームを小説の形でも出版します。けれども、本編からは想像もつかない、もはやノベライズでなく別種の小説のような内容となっています。ある意味では、ファンの期待を裏切るものかもしれません。そのような決断に踏みれたことすら、やはり机に向かうたびに視界に入るガラス越しの『CARNIVAL』を意識せずにいれなかったからです。なんと恥ずかしいことか。
いっそ、殺してほしいくらい。こうしてまるで予防線を張り巡らせるように過度にへりくだることも、社会への皮肉を込めてビジネス的な敬語を多用するのも、卑屈の中に隠しきれない自我と自惚れを残してしまうことも、ぜんぶぜんぶ僕が瀬戸口廉也から一方的に学ばせてもらいました。
寄稿文の体をなす社交辞令のような結びの言葉すら思いつきません。今も、キーボードを叩く手が震え、何度も何度も文字列を並べては消してを繰り返しています。これ以上、語ってしまうと自分が壊れてしまいまので、唐突ながらここで締めさせていただきます。
こんな醜い人間が生き恥を晒しただけの駄文なぞ、みなさんも一秒でも早く忘れたほうがいいですよ。